自分の可能性に蓋をしていませんか。
最近、中田あっちゃんのyotube大学にはまっている。
内容は勿論のこと、情報の取り方や話し方など非常に勉強になる。
「他人とうまくやっていく」アラン&バーバラ・ピーズ(サンマーク出版)をテーマにして、対人関係につき語られている回。
この中で、終盤に「訓練すれば誰でも出来る」といったことが説かれている。
「自分の可能性に蓋をしているのは自分だ」と。
まさに。。
私たちは知らないうちに、自分自身の可能性に否定的になり、未来の選択を制限することがよくある。
私も、もちろんその一人である。
何かに挑戦したくても、過去の経験に引きずられ、自分には無理だと最初から諦めてしまう。
私自身、自分の学歴や学業成績、留学試験や就活、また社会人になってからぶち当たった壁や不得意分野、そんなものを事あるごとに思い出しながら、自分自身の先の可能性に後ろ向きになることも少なくなかった。
また他人との比較をしては、自分にはあそこまでの能力がないから出来ない、など。
果たして、そう自分の可能性を制限することに何の意味があるのだろうか。
私の場合は、自分が出来ない言い訳(またはエビデンス)を探し、挑戦しないことの妥当性を高め様としている気がしている。
それは何故なら、挑戦してうまくいかなかった場合に、落ち込みたくないから。失敗経験を作りたくないから。傷つきたくないから。
そんな精神が根本にある気がする。
だから最初から、挑戦することを諦めてしまう。
どうせ自分には出来ない。そういってトライすることをしない。成功する確率ばかり考えてしまう。
しかし、自分の可能性を否定することに、一体何の価値があるのだろうか。
私の場合は成功しなかったときの恐れからくるものだとしたら、仮に、想定通りに行かなかった場合に、何を失うのだろうか。
他人からの自分への評価?
しかし、仮に自分の友人が何かに挑戦し、想定していた結果を成し得なかった場合、私はその友人に対してどう思うか。
何も思わないだろう。
むしろ、挑戦した彼女/彼を誇りに思うだろう。
ネガティブな感情はそこに一切無いだろう。
私は、何を恐れているのか。
全ては、自分自身との戦い。
自分の過去に捉われず、今の自分自身の可能性を信じ、未来に挑戦し続けたい。
ちょっと涼しくなり、赤ワインと共に思考が進んだ夜のつぶやき。