旅とは?ミャンマー、ガパリビーチでの出会い。
暑い、ひたすら暑い。連日40度を越える暑さの中、停電も頻発(このブログを書いてる今も絶賛停電中、携帯の電池もあと僅か)。この時期のミャンマーは一年の中で最も厳しく、体力気力共に勝負の時期となる。
そんな時期に、ミャンマー(含む東南アジア諸国)では旧暦の新年を迎える。そして、新年を迎えるにあたり水かけ祭りが行われ、そして国全体が休みとなる。何て理に適ったものか。暑くて仕事なんてろくにできない、休むのが一番だ。
そんな休暇期間を使って、今年はミャンマー随一と言われるガパリビーチに行くことにした。日本にいる旦那もミャンマー入りしてくれた。
久々の旅。
海で思いっきり羽を伸ばそうと思った。思いっきりだらけようと思った。
しかし、2日もすると海とプールにも飽きる。そこで、少し何か体験したくなり、地元のガイドさんにツアーを頼んでみた。
コーミンミンという男性。南の人らしく、こんがり焼けた肌に除く白い歯。背も高く、お腹も出てなく、一般的なミャンマー人とは少し異なる様相。
彼は、流暢な英語で、穏やかに話す。その日は、少し離れた島へのボートトリップをお願いしていた。
結構ラフな海を渡り島に着き、「ここには何があるの?」と尋ねると、「何もないよ」と、コーミンミン。先に言ってくれよと思う私をよそに、「まぁここに座りなさい」と誰もいない掘っ立て小屋に案内される私たち。
そしてコーミンミンは、語りだした。とことん語り出した。ミャンマーについて、仏教について、歴史について、戦争時代にその場所にいた日本軍のことについて、ありとあらゆることを話してくれた。
この世界は一つの村に過ぎないということ、お互い争い合うのではなく自分の持っているものを分け合うこと、そうすることで得られる平和。そんなことを沢山語ってくれた。
彼が住むこの地域は、現在国際的に非難を浴びているロヒンギャ問題があるラカイン州だ。問題が起きているのは北部で、ビーチが位置するのは南部であり直接的な影響は無いものの、この問題を含む人々の平和に対する思考の必要性、またそれが伴わずあらゆる問題が生じているミャンマーの現状につき、語ってくれた。
5時間の旅の中、3時間は彼の講話だった(残り2時間は移動)。多少ボリューミーではあるものの、そんな濃密な彼の語りにすっかりはまってしまい、次の日も彼にガイドをお願いし、もう少し街を案内(語り8割)してもらった。
何故人は旅に出るのか。
そんな彼との出会いまた語りを通して考えた。私にとって旅は、日常から離れた非日常の世界に入り、そこで新たな出会い、新たな視点を得ること、そして新たな繋がりを感じることではないかと感じた。
国、文化や宗教などあらゆる既存のカテゴリーを見つめ直したり、場所、世代や歴史など時空間を越えた繋がりを発見したり。もっと大きい枠で、もっと沢山の次元で考えられる瞬間が訪れる。
自分は個でなく、あらゆる繋がりの中に存在する一部なのではないかと。地域、言葉、文化が違うはずなのに、偶然出会う奇跡。繋がる瞬間が旅にはある。
コーミンミンは言った。
「今この世に存在する不公平は、全て前世から来ているのだ。前世の行いが今に繋がっている。」
心の中で何かがストンと落ちた。
私は国際協力の分野にキャリアチェンジした身であるが、キャリア転換した後も私は何故国際協力をやっているのかの根本的な理由をずっと自問自答をしてきた。勿論表面的にはいくつか理由はある。しかし、何と言うか言葉で表せない、感情、精神的なものが内在している様にも感じていた。
私は不公平である社会が嫌いだし、どうにかしたいと思う。それに尽力することがライフミッションの様に感じる。(それに対し努力をしなければ、良く死ねないと思っている。)この感情は私個人の中にあるものの、もしかしたら前世また後世、そして社会との繋がりから来ているのではないだろうか。このミッションはずっと前の誰かどこか遠くから又は最も近くから来ていて、そして私が為す行いや結果は次へと繋がっていく。ある意味連帯責任の様な、でももっとポジティブな繋がりを覚えた。
(丘の上のパゴダから。通称ガパリのパワースポット)
そんな感覚を持てることが私が旅をする理由であり、また時として拠点を移動する理由でもあるかもしれない。
コーミンミンは、言った。
「ウィスダム(知恵)の共有は、ドネーションのまた一つの方法である」
彼は見事にそれを体現していた。
気持ちをリフレッシュさせ、次からの日常へのステップを踏む準備が出来た旅だった。
しかし、暑さと続く停電に、一気に現実に振り戻された。が、旅で得たこの感覚を忘れないうちに、少しでも書き留めてみた。
そして最後に、コーミンミンが気になって仕方ないあなた!ガパリに行かれたら、是非ご利用ください笑!(語りが苦手な人にはお勧めしません)