Kyo Co. のブログ

伝えたい、自分の目で見たものを、自分の言葉で。この世界の多様性への気づきが、自分らしくまた互いの生き方を尊重できる社会に繋がることを願いながら。

国を越えて、死の悲しみは分かち合えるのか。

この数日間は、自分の感情が大きく揺れ動いていた。悲しみ、寂しさ、苛立ち、喜び、愛。あらゆる感情を抱いた。

 

ミャンマー人が尊敬してやまない日本人の存在

 

このミャンマーの田舎街ピーで最も愛された日本人と言っても過言ではない人を亡くした。

 

上村先生。

定年を過ぎてからミャンマーに移住し、何も無かったこの街に、日本語教室を開き無料で教え続け、地球の歩き方にも載っている日本食レストラン「横浜」を作り経営していた。イラワジ川のほとりにある横浜は、地元のミャンマー人だけでなく、短期長期関わらず滞在する日本人の胃を癒し心の支えとなっていた。11年もの間、日本語を教え続け、日本食で皆をもてなし、ピーの人々にとってかけがえの無い存在であり、皆から尊敬され偉大な人だった。先生は優しくて、強くて、大きな大きな人だった。何かあるといつも助けてくれ、変わらない笑顔でいつも迎えてくれた。楽ではない途上国の田舎での生活、先生がいてくれたから何度も何度も救われた。先生のお陰でここまでやって来れた。

 

そんな大切な人が亡くなった。先生は、昨年秋に日本に帰国し、また新しい生活を始めようとしていたところだった。


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その知らせを聞きショックを受けるが、その後にミャンマー人と電話で話すといつもと変わらずトーン。そして容赦なしに先生の悲報はフェイスブックでシェアされまくっている。

 

ミャンマーと日本では異なる死生観?

 

ミャンマーでの死生観は、輪廻転生の考えが基本にあり、終わった現世より来世が重んじられ、日本の感覚と比較すると少しドライに感じる部分があると聞いていた。これまでも、ミャンマー人の知人の身の回りに不幸があった場合も、見かけだけだったかもしれないが、直後でもあまりショックを受けている様には見えなかった。やはり死の捉え方は異なるのだろうか、、ミャンマー人と死については分かり合えないのでは、などと少し複雑で寂しい気持ちになっていた。

 

しかしその後、レストラン横浜を訪れると、先生の教え子が集まり、皆言葉も無くただただ涙を流し悲しみに暮れていた。ここまで落ち込むミャンマー人の姿を見るのは、ミャンマーに来てから初めて見た光景だった。

 

それでも、自分たちに最後何が出来るかを一生懸命考え出し、日本で執り行われるお葬式に合わせた同日に横浜でも式を行うことが決まった。憔悴しきっていた子たちは翌日、式のために準備を開始した。前日とは変わって笑顔を取戻し、睡眠も削りながらも頑張って準備に励んでいた。

 

異文化理解とは?

 

当日はミャンマーの人たちが全身黒い服を来ていた。通常のミャンマーでのお葬式では黒を着る文化は無いが、日本の文化を尊重し皆で着ることにしたのだそうだ。その他も日本では菊のお花が使われることを知り、菊のお花で先生の遺影の周りを飾っていた。皆の先生を思う気持ち、日本文化を尊重する姿勢が痛いほどに伝わってきた。

 

日常生活の中で、特に私は仕事上毎日ミャンマー人の考えや行動を理解するのに苦労することが多々ある。何故だ、何故そうなる、何故出来ないのか、分からないのか、と悩むことばかり。自分は異文化理解が出来る方だと思っていたが、今回の件で改めてまだまだ自分は理解出来ていなかったと正直反省した。自分の先入観で知らないうちに思い込み判断していることが意外と多い現実。どこかで、いつも自分の考えがスタンダードで、相手文化への配慮や尊敬の念が足りていなかった。

 

よく上村先生は言っていた。

「僕たちは、ここ(ミャンマー)に住ませてもらっているのだ。」

 

環境に、周りの人に感謝し、見えないもの聞こえない言葉に耳を傾けながら、相手文化を尊重出来たらと思う。ミャンマーの人たちがそうしてくれている様に。そして、異文化理解の前に目の前にいる人個人を尊重することが、その先の背景にある文化を理解することに繋がると感じた。


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辛さを越えた先には

 

先生を亡くしたことは悲しいがそれでも今回のことで、ピーの人たちとの繋がりが強まった気がしている。

 

私は海外滞在中に、自分の身の回りの大切な人を失くした経験は今回で二度目だった。誰にとっても辛い死。しかし辛いときこそ、残された仲間の繫がりは強くなる。

 

何故なら、同じ感情を共有できるからだ。言葉や文化が違っても、痛みは十分に分かち合える。

 

国を越えて全身全霊で故人を偲ぶ。

 

時間も労力も惜しまず、一生懸命に捧げるミャンマー人の敬虔さには改めて驚くと同時に、ミャンマー人にこんなにも愛され続けている先生の存在。個人の力が国、文化、宗教を越え人々を結びつけた。

 

ミャンマーの御経は今まで、一度もしっくりきたことはなかった。

 

そんな御経が初めて、とても心地よく感じた。

 

故人を思いやる皆の気持ちが一つになった時間だったのだろう。


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御経を唱えてくれた僧侶の方が言ってくれた。

「私たちは今こうして国や宗教が異ったとしても、先祖では皆繋がっていたんだ。だから今、こうして遠いところに生まれたはずの私たちが同じ時、同じ場所で再び巡り会うことが出来ている。故人が引き合わせてくれたんだ。」

 

確かに、遠く生まれた私たちが出会える奇跡。それは何かの縁なのだろう。そして、それぞれの前世がそれぞれ重なり合い、人類は皆本当に兄妹だったのかもしれない。


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辛いことは出来れば少ない方がいい。

でも辛いことが起こっても、そこに仲間さえいれば乗り越えられる。そして一緒に悲しみを乗り越えた絆は強い繫がりとなる。

 

 

私の大好きな故人二人に思いを馳せながら、二人が作ってくれた、国を越えた強固な仲間との繫がりに感謝する。