Kyo Co. のブログ

伝えたい、自分の目で見たものを、自分の言葉で。この世界の多様性への気づきが、自分らしくまた互いの生き方を尊重できる社会に繋がることを願いながら。

休暇からミャンマーに戻り、驚いたこと

ミャンマーの騒音(特に乾季の始まりで通称歩くドネーション隊の盛り上がりがマックス)、砂ぼこりまみれの空気、交通マナーの悪さ、人々のマナーの悪さ、脂っこい食事等々、腹を立てても仕方ないと分かっていてもフラストレーションは溜まっていた。早く抜け出したかった。

 

そしてお隣の国、バンコクにやって来た。発展し洗練された都会での潤いを求めて。

 

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綺麗な車、スムーズな道路、立ち並ぶ高層ビル、ドライブインや大型ショッピングモールも多く、ミャンマーとはやはりかなり発展レベルが異なる大都会。

 

一見快適でキラキラした生活がそこには見えた。

 

しかし、数日間の滞在のみだが何だか疲れる。観光客含めすごい人混み、溢れるモノカネ資本、そして何より残念に思えたのがサービス。

 

本来タイ人が持っていたかもしれない、穏やかさやおもてなしの精神は見られず、淡々と、いやむしろ疲れや怒りを帯びた接客態度も見受けられた。レストラン、ショップ、コンビニ等々。

 

無理もない、これだけの観光客の量、流れてくる資本。ましてや、中国人観光客の態度の悪さ!(国による一般化は出来なくとも、往々にして目立っていた)タクシードライバーも平然と運賃上乗せを試みてくる。

 

微笑みの国、タイはどこに行ったのか。

 

日本の様な偽善的ではあるものの高いサービスの質がある訳でも無く、ミャンマーの様なシステム化されていなくとも、人々のそのままの優しさに触れられるサービスはバンコクでは見られにくい。

 

ミャンマー同様、タイでもバンコクとそれ以外のエリアでは、勿論状況は異なるだろう。それにしても以前訪れた時に感じたもの、また個人的なタイの友人との繫がりから抱いていた人々の様子は、イメージからかけ離れていた。

 

もしかしたら、私がタイに期待しすぎていたのかもしれない。穏やかで優しい人々であり、発展した社会、高い教育水準、、ミャンマーより秩序が保たれていると勝手に期待値を高めていたのかもしれない。

 


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(滞在中に訪れたタイとミャンマーの国境ゲート。隣国でありながら、異なる発展状況の様子が感じられる。)

 

数日間の滞在を終え、ミャンマーへの帰りのフライト。ミャンマー語が聞こえてきて、急に懐かしくなった。空港に着くとロンジーを着た沢山のミャンマー人。車体はぼろいけど、優しく一生懸命なタクシードライバーに迎えられ、車内で流れるミャンマーミュージックに心から安心している自分がそこにはいた。


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飲食店では、立ち位置は明らかにおかしいけど、気付くと飛んできてくれ、言語の問題で少しコミニュケーションがうまくいかないと何人もが集まってきて、どうにかこちらの意図を組んでくれようとする。はにかみながらも大丈夫かと聞いてくれ、無駄なお皿を持ってきてくれ、無駄にティッシュをたたんでくれ、、、

相変わらず効率性ゼロであるものの、サービスに一生懸命なミャンマー人。英語も拙いけど、一生懸命。そんな暖かいミャンマー人の接客に癒やされていく感覚。もしかしたら、私は、こんな日常的なミャンマー人の素朴な優しさに慣れすぎて感覚が麻痺していたのかもしれない。

 

ミャンマーに嫌気が指していたが、少し離れたお陰で逆に気づいた。ミャンマーが好きかもしれない。ミャンマー語が分からないこんな外国人をいつも暖かく受け入れてくれて改めて感謝。

 

何よりもミャンマーミュージックを自然と口ずさんでる私がここにいる。