ミャンマーに戻ってからの本音〜ピー編〜
ヤンゴンで数泊後、私の居住地である街、いざピーへ(ヤンゴンから車で約6時間)。
ヤンゴンはやはりミャンマー最大の都市だけあって、ミャンマーであれど、都会的な生活を送れる。そのため、日本からの場合でも、然程大きなカルチャーショックは受けずに済む。
しかし、ヤンゴンを一歩出ると、全く違う暮らしぶりがそこには広がるのだ。
やっと久々の家に到着!と思ったら、、
その一、部屋は土ぼこりまみれ
そのニ、水が出ない
その三、冷蔵庫がカビルンルンのパラダイス
その四、気温は40度を超えているが、クーラーが効かず、ただひたすら暑い
道路も、溶けていた!!
その五、クーラーがやっと効いてきて快適だ〜と思っていたのも束の間、はい、停電。
その六、トイレの便座がいきなり真っ二つに割れた
その七、私史上、最大級のゴキブリが。しかも写真を撮ろうとしたら、なんと、飛んできたではないか!ゴキブリに追いかけられ悲鳴をあげて逃げる私。その拍子に椅子を倒し曲げてしまう。
と、立て続けにトラブル。
日本の快適な生活の後で、この状況には正直参った。
カルチャーショック?
私はこの言葉の意味を実はよく理解していない。いや、恐らく何度も体験してるのだろうが、記憶に残るほどの体験は無く、行った土地土地、違って当たり前という感覚がある気がしていた。
ミャンマーに赴任して7ヶ月、大きなカルチャーショックも無く、現地の生活にも慣れてきたと思っていたが、一歩外に出て帰って来るとまた振り出しに戻る感覚があった。
もしかしたら、これが、カルチャーショックというものなのか?
日本は、快適だった。
オンタイムな交通機関、歩道が歩きやすく、何も考えずに歩ける。どこにでも綺麗なトイレがあり、コンビニがあり、自販機があり(しかもペットボトルのキャップは外れない!)、スーパーには何でも揃っていて、そのまま使える綺麗に千切りされたキャベツがあり、数秒で質の高い食にありつける。街には、可愛い洋服や綺麗な化粧品で溢れ、お金が幾らあっても足りない。
何も考えずに、便利で快適な生活がそこにはあり、もっと美味しいものが食べたい、もっと可愛い服が欲しい、靴が欲しい、消費して、消費して、正直きりがない。そして、自分にも欲がこんなにもあったことにも驚いた。
その土地の力
ここ、ピーではモノやお金が時には無力となり、人の力なしには解決出来ないことが沢山ある。
水道が壊れたら、昼夜問わず、猛暑の中、必死に直してくれるミャンマー人。嫌な顔一つと見せない。
ちなみに、直し終わった水道管はこちら。私の部屋の管には、何か新しい装置がついた模様。
突っ込みどころ満載でな出来事も日々溢れていて、癒される。
朝起きたら、でっかいクレーンが家の前に突如表れたり、
家のドアを開けたら、そこには延長コードを持ったミャンマー人が。電気をくれと言うので、私の部屋のプラグから電気配給してみたり。
そうだそうだ、これだこれだ。
徐々に忘れていた感覚を取り戻していく感じ。そして、徐々にそれが、心地の良い環境へと変わっていく。人との触れ合いを通して。
これが、異文化に適応していく段階なのだろうか。
日本の生活を基準にして、ミャンマーの環境に不満ばかり抱いていた数日間。
ここにいることは誰でもない、全て自分で選択したこと。何故、私はミャンマーにいるのか、忘れずにこの先も過ごしたい。
またミャンマーの生活が始まります。
フォーン(クラクションの音)