Kyo Co. のブログ

伝えたい、自分の目で見たものを、自分の言葉で。この世界の多様性への気づきが、自分らしくまた互いの生き方を尊重できる社会に繋がることを願いながら。

海外生活は孤独?

「海外生活」と聞いたとき、どんな生活が想像されるだろうか。

 

楽しそう

かっこいい

パーティー三昧

インターナショナルな環境

美味しいもの食べてそう

 

海外で何をするかにもよるが、一般的に華やかなイメージが多少なりともないだろうか。

 

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今は特にSNS の影響で、 生活の良い部分だけが切り取られ他人に伝わりやすいことからも、華やかなイメージが先行することがより大きいかもしれない。

 

実際私もそんなイメージを抱いていた一人であった。昔から海外で仕事をしたり、生活をしたりすることに憧れがあった。

 

そして、日本を飛び出した。
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しかし実際にいざ海外に出てみると、自分が想像していた華やかさからは少し、いや大分違うと感じることが多かった。

 

勿論、日本で出会えなかった人や文化とのかけがえのない出会いがあり、今までとは異なる環境に高揚し、海外って楽しい!と思える瞬間は沢山あるのは紛れもない事実。


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しかし、私は海外に出てみて一番思うことは、 自分一人になる時間が多く、それが時には「孤独」と感じることがある、ということだ。

 

過去に私は、アメリカでのホームステイ、その後に中国での勤務、イギリスでの留学生活を経て、現在のミャンマーでの生活に至るが、その時々で環境や、行っていることは違えど、この「孤独」というものとは常に戦ってきた。

 

現地に友だちがいないわけではない。むしろ都度、素敵な仲間に沢山出会ってきた。しかし、家族がいないこと、また生まれ育った日本と比べて、自分が属するコミュニティの数や範囲が断然限られていること、特に慣れ親しんだ友人から離れていること、一人でいる時間も当然多くなる。更には、現地では当然ながら現地のコミュニティがあり、自分が外国人という立場でマイノリティーになり、その疎外感からの孤独を感じることもある。

 

海外生活では、この「孤独」とどう向き合っていくか、ということが私は結構重要だと思っている。その向き合い方は、様々な方法があるだろうし、私も常に模索中だが、私の場合、やはり人との接触でしかその孤独は乗り越えられないと思っている。

 

ミャンマーに来て、インフラもままならない環境、言葉も通じず、暑くて外に出ることも億劫、スーパーも無く買い物一つにも苦労する生活で最初は不便且つ孤独を感じることもあった。

 

しかし、私がいる街、ピーではコミュニティの力が強靭であり、街の人々と知り合うことが驚異的な威力、安心感を産む。道を歩いていれば声をかけられ、顔見知りの店では言葉が通じなくても色々気を利かせてくれ、何か困ったときには、皆全力で助けてくれる。

 

そんな地元の人たちに、私の孤独は毎回癒やされてきた。

 

モノではなく、人との繋がりにより、精神的に満たされていく感覚を知った。

 

例えば、今日行った街中のインド料理屋。

 

前回行ったときのお兄さんがいなくて、別のお兄ちゃんのみ。店に入ったときは一見無愛想でやる気ないなーと思ったが、食事中何かと気を使ってくれ、食べ終わった頃に質問をされる。

 

「日本ではゴールドを売ってるか。」

何故、言ってもいないのに私が日本人だと分かる!

 

「お前のマンションはあそこの4階か」

何故私の住まいを知っている!

 

「俺たちは、お前の部屋の向かいの部屋に引っ越すんだ」

何故、そんな重要情報をもっと早く言わずこの最後のタイミングで言ってくるか!

 

と、そんな突っ込みどころ満載な、ほっこりする様な出会いや会話に今日も癒やされた。

 


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孤独は、決して悪いことではなく、むしろ自分と向き合うことが出来る貴重な時間だ。しかし、その孤独と、他人との触れ合いのバランスを崩すと、精神的に良くないことを私は感じてきた。そのため、孤独を感じ始めたら、億劫でも外に出て人と触れ合うことを心がけている。

 

日本からの親しい友人たちが遊びに来てくれ、帰ってしまった今日、寂しい感情を抱えつつも、現地の人たちに癒やされながら、こんな記事を書いてみた。