Kyo Co. のブログ

伝えたい、自分の目で見たものを、自分の言葉で。この世界の多様性への気づきが、自分らしくまた互いの生き方を尊重できる社会に繋がることを願いながら。

新たな視点 ‐ 個人の自由を得るためには ‐

廃人脱却したとは言え、相変わらず宙ぶらりんな生活を送っている今日この頃。でも来週は予定が数件あるし、そろそろ本気で来期の予習も始めなければ。。と自分を追い詰めようとしているところではありますが。。

 

と、昨日はクラスメイトのバングラディッシュの子の寮へお邪魔しに。

バングラ風味のフィッシュ&チップスとヌードル&デザートを作ってくれました。前回はバングラ風チキンカレー?みたいなものとか、いつも美味しいんです。

 

そんな料理上手&食べるの大好き彼女と話していて印象的だったのが、

「イギリスに初めて来た時、安全だったから自ら色々行動を起こせた。」と話し出したこと。

 

最初は何のこと?とピンとこなかったのですが、バングラディッシュでは常に危険と隣り合わせで自由に行動することが出来ないとのこと。いつ何があるか分からないし、公共交通機関を利用した場合男性の痴漢行為なんて日常茶飯事だし、自分の行動が制限されると話してくれた。

 

この視点は私はあまり持っていなかったので、なるほどと思った。今まで身の危険をあまり身近に感じず過ごしてきた私にとっては、自分の行動が危険というものに制限されることはなかった。いくら本人が行動したいという思いや経済的条件等が揃っていた場合でも、周りの環境によってその自由は制限されてしまう。個人の自由はその個人のみにおいて実現出来るのではなく、周囲の環境によっても左右されてしまうこと。やはりこの安全という点においても、自由な権利を獲得するにあたっての地域間の不平等は生じていると感じた。

 

最近私はこの、周囲の環境によって生じる不平等な機会格差にとても関心がある。特に今勉強している教育においては、個人の能力だけでなく環境によって不利になる教育機会。平等に教育機会を受けれるような公正な社会づくりというのが私の今後の大きなテーマになってくると言えよう。

 

平等って昔はもっと簡単なことだと思っていたけど、勉強すればするほど難しい。。でも少しでも社会的弱者と言うのだろうか、機会を得るのに不利な立場にいる人々の助けが出来ればなぁ、、と思う吾輩である。。